認知症対策、昔はどうだった?

少なくとも江戸時代にはあった?

認知症は何も最近になって見つかった新しい病気ではありません。
高齢化といった社会問題から関わりの深い認知症が取り沙汰されるようになりましたが、加齢性の認知症が発症しやすい年齢に人間の寿命が伸びてしまった頃から認知症はあるといわれており、少なくとも日本では江戸時代にはあったとされています。

江戸時代には認知症の患者に対してどのような対策がなされていたのか、といえば当時は今ほど医学は進歩しておらず、また病気に対する理解も深くは無い時代であったことは誰しもご存知かと思います。そうしたことから現在ほど人間の寿命は長くなく、加齢によって認知症を発症してしまう人も稀であったとされています。
例えば有名な昔話に姥捨て山というものがありますがこれは記録こそないにも関わらず、労働力にもならなく面倒すら見切れなくなった家族を間引くという行為が秘密裏になされていたという説も少なからずあるようです。

明治時代では認知症は病気

明治時代の頃ともなると認知症は病気として知られるようになり、また江戸時代の頃とは違って精神疾患のある患者に対する癲狂院という施設が開設され、認知症の患者もまたこの癲狂院にて処置を受けることになったようですが、実際に行われていたのは治療というものではなく、手に負えなくなった患者を拘束するための施設であったようです。

この頃から生活習慣、特に食事において欧米化が進み魚より肉類を多く食べるようになった背景から、魚に含まれるDHAなどの不足を招き認知症のリスクが高まったと言えるかもしれません。

大正、昭和では寿命が伸びると発症が顕著

そして大正時代に入ってから日本では医療の視点からようやく認知症に対する研究が始まったとされていますが、進行を遅らせるための処置や予防法は確立されないまま昭和へと移り実際に認知症患者の人権が尊重され、またそのことを考慮したケアが行われるようになったのは昭和の後期となりこの頃にもなれば寿命が伸びるに伴い認知症を発症してしまう人が顕著となってきたため、それに付随して研究も進み現在にいたることになります。